それは肌寒い冬の日の午後。
良守が修行を終わらせ、悲願のケーキ城を作成しようと台所の暖簾を潜ろうとした時のことだ。

「入るな!」

叫び声と共に、腹に強力なタックルを喰らう。
ぐふっっと呻き声を上げながら、良守はぶつかってきたものごと後ろに倒れ、後頭部を強かに打ちつけた。

「ったたた・・・何すんだよ、藍緋!」

良守は上半身だけ、むくりと起き上がり、自分の腹に抱きついている(しがみついていると言った方が適切だろうか)タックルを仕掛けた相手、最早完全に家族の一員と化した妖の少女(といっても、実際は良守の何十倍も長生きしているのだが)に文句を言った。
藍緋は、まだ良守の腹にしがみついたままで、顔を上げない。
良守はなんだか、自分が悪いことをしたみたいで、さっきまで強かった口調を随分弱め、再度どうしたのか?と藍緋の横顔を覗きこんだ。
藍緋のエメラルドグリーンとでもいうのだろうか、新緑の葉を思い出させるような絹のようにやわらかく艶やかな髪と、白磁のように美しい肌。横顔のラインがなんだかなめらかで、まるでミルクケーキのように甘そうだ、と良守は藍緋を見てなんとなく思った。
足も細い。ウエストなんか、抱きしめたら折れてしまいそうだ。なのに、どこかしなやかで、野生の花を思い起こさせる。

(う、わ・・・こいつ、こんな小さかったっけ?)

今まで藍緋とこんな風に密着したことがなかったからわからなかった。
それとも、自分が成長しているからだろうか。
火黒なんかは、元から良守よりずっと背が高いのでいつもに上げていたから、自分の背が伸びた実感は湧かなかった(いつも、火黒は良守の頭をわしゃわしゃと撫でて、かわいいと言いながら抱きしめる。ちょっと屈辱だ)
なんだか、急にいたたまれなくなってくる。
そんな、美しい芸術作品とも言える藍緋が、自分の腹に抱きついているのだ。
やばい。良守は思った。この体制は、やばい。
良守も中学生だ。もう14歳になる。お年頃な、年齢だ。
異性に積極的な興味はなくても、やっぱり少しは欲求というものがある。
やわらかそうな肌に触れてみたいとか、髪の靡く姿に胸が高鳴ったりだとか、そんな雄の本能は確かに存在するのだ。
白に紅をおとしてみたいとか、支配欲までいかないのは、生来色事に興味や関心がないからなのか、そういったことに割く余裕や心がないのかはわからないが。
とにかく、良守は焦った。このままだと、どうしょうもない衝動に駆られて、藍緋を抱き潰してしまいそうになる。
どいてくれ、と良守は天にも縋る心地で藍緋に言った。お願いだから、どいてくれ。
祈りが通じたのかはわからないが、藍緋は、ハッとなって良守の上からどいてくれた。少し、耳が紅い。そんな藍緋の様子に、可愛いなと思って、良守は我に返った。一体、今、自分は何を思ったのか。それ以上考えるのが怖かったので、良守は忘れたフリをした。
藍緋は藍緋で、正座しながら俯いている。思わず良守も正座になる。向かい合って正座する結界師と妖。なんだか、奇妙な図だ。
良守はちらり、と藍緋を見たが、俯いて何も喋ろうとしない彼女に何を言っていいのかよくわからなくて、下を見る。
沈黙が続いていた、その時。

「おい、藍緋。チョコレート溶かしたぜ、次はどーすんだよ。早くしねぇと、良が来る・・・って」

暖簾を片手で上げながら、火黒が台所から顔を覗かせた。
そして、良守と藍緋を見ると、一瞬驚いて、目を見開いた。

「・・・・なにしてんの、2人とも。新手のプレイ?」

瞬間、藍緋に強烈な右ストレートを決められて、火黒は床に倒れる。
良守は意味がわからないまま、藍緋に明日まで台所には立ち入り禁止と一方的に約束させられ、ようやく頭が正常に作動したのは結界師仕事を終えていた頃だった。




(幸か不幸か、少しだけ変化の兆しが現れた瞬間)








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