「先生?」

辺りはすっかり冬に染まった世界で、夏目は自称用心棒の名(勿論本名ではない、本名は斑というのだそうだ)を呼んだ。
招き猫を依代とした妖怪は、夏目の油断ならないが頼もしい(時々微妙)大切な相手だ。
がさがさと茂みが動いた方向を見れば、その妖怪は七転八倒とでもいうのか、雪と無邪気に戯れている。まるで恐ろしい妖怪には見えない。思わず笑いがこみ上げる。平和だ。

「夏目!見ろ、捕まえてやったぞ」

得意満面で先生が背中に3本筋の入った蛙を自慢げに銜えてやって来た。
ちょっと待て、それはもしや三篠の子分の蛙じゃないだろうか?何度か見たことがある。
夏目は慌てて先生に駆け寄り、駄目じゃないか!と焦った声で叱りつけ、先生の口から蛙を救出した。
不満そうにしながら、先生は尚も雪が降り積もった庭ではしゃぐ。元気だ。
そんな先生の背中(といえるのかわからないほど丸い後姿)を遠くに見ながら、手の中に納まっていた蛙をそっと庭の躑躅の植え込みの辺りに放してやる。
今度はもう捕まるなよ、と忠告したら、コクンと頷いて茂みの中へと消えていってしまった。
まあ、あれでも妖怪だから人の言葉がわかってもおかしくはない。それでもどこか呆気にとられながら、夏目は蛙が消えた茂みを見送った。

はらり、と夏目の肩に雪が触れる。
雪、この全てを拒絶する白の象徴を夏目はあまり好きになれなかった。
まるで、自分の周りの人間のようだ、と白い色を見るたびに思う。自分という存在を、拒絶し、その一色しか許さない、そんな傲慢さ。雪は、夏目を取り囲み、追い出そうとする。
自分が異質であると、まざまざと見せ付けられているようで、昔から雪の日は部屋の隅で縮こまっていた。
黒という色も苦手だった。否が応でも、並に息づく生き物たちを髣髴とさせてしまうから。
でも、夏目は黒という色は嫌いではない。なにか、許されるような気がするのだ、あの色を見ると。
いろんなものが、ごちゃ混ぜになって生まれるその色は、自分を決して拒むことはなかった。
夜の優しさと共に、自分を包み込んでくれる気がする。だから、夜は恐ろしいけど好きだった。

でも、今。
藤原夫妻に引き取られて、にゃんこ先生に出逢えて、沢山の妖怪を知って、人と関わって、夏目は少しだけ変わった。
ちょっと前まで、人が嫌いだった。雪が嫌いだった。白が大嫌いだった。人が、闇が、拒絶が、他人と自分が違うということが、共有できない世界が、不安定な存在が、とてもとても恐ろしくてしょうがなかった。
なのに、今はあたたかい。
あいかわらず、白はあまり好きにはなれないけど。
闇は恐ろしいし、共有できない不安定な世界が恨めしいけど。
だけど、あたたかい人がいて、あたたかい場所があって、雪も本当はさびしいんだって、拒絶の寂しさを孤独を、知れたから。

「先生―、そろそろお雑煮が出来る頃だから、家に帰ろう」

夏目が口に手を当てて呼べば、お雑煮に釣られてにゃんこ先生が茂みから顔を出した。
だっこをせびり、餅はいくつ入っているだろうと、先生は心弾ませる。
夏目は、雪がまだはらりはらりと生まれてくる空を見上げて、先生の要望通り、少し重たい招き猫をその手に抱いて、あたたかい家の中へと帰っていった。







雪が深く深く降り積もる

地面に
氷の張った湖に
あの日訪れた庭に
人知れず佇む
の肩に








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