「今この瞬間、たった一歩踏み出すだけで、俺は貴方を殺す事だって出来る」 鈍色に光る刀の切っ先を銀色の鬼の喉笛に突きつけながら、沖田は愛しげに鬼と目の前に光る自身の愛刀を見つめた。 わずか数歩、鬼と沖田の間はその短く、しかし絶対的な距離によって阻まれている。 それは物理的でもあったし、恐らく自分と鬼の寄り添えるギリギリの距離なのだと、沖田は思った。 隣に立つことは許されないだろう。また、沖田自身も彼の傍らに立つ気など、毛頭ない。 自分は近藤局長と、非常に不本意だが鬼副長の名で知られる土方とともに真撰組で生き、また、真撰組で死ぬ。それは、沖田にとって唯一つの誇りであった。 沖田は、彼らの・・・仲間の為に生きて死にたかった。大切なものが両手から零れていくのを止められないからこそ、尚更。 最期の血の一滴まで、骨の欠片までも、そのために捧げる。それは己が侍として刀を掲げた瞬間、誓ったことだった。 己で定めた誓いに背くことは出来ない。沖田が侍であり続けるための、幼い約束。 なのに、この鬼の前に立つと声を聞くと、そんなものがどうでもよくなってしまいそうなほど自信が揺らぐ。 初めて彼を目にしたとき、危険だ。と、体の奥底にある何かが沖田に警告した。 これは、お前の今もまっすぐ立ち続ける心の芯をぼろぼろに崩してしまうだろうと。 それでも沖田は銀色の鬼に関わり続けた。つかずはなれずの距離、友人のように、家族のように、他人のように。 鬼との距離はおよそ5歩。何故か、とても居心地が良かった、あの・・・ 「・・・殺さないの?」 少し上から漏れた小さな問いかけに、沖田はハッとなった。 戦場で敵を殺すこと意外に意識が向くなど、普段では考えられないことだ。何たる失態! これが警告を無視した結果だろうか? 沖田は自嘲気味に空を見上げ、前髪を掻きあげた。 あぁ、なんてくだらない。人間とは実に厄介な生き物だ。 心とは何と邪魔で、厭わしく、滑稽で、そしてなんと愛しいものだろうか! 沖田が金色に光る満月に満面の微笑を贈った、その瞬間。 片手で握り締めていた愛刀は主の手を離れ、鬼の手の内に奪われた。 返す手で喉元を切り裂かれる。喉の上を、細い氷が走った様な感覚が沖田を襲った。 どしゃり、体から力が抜け、地面に叩き付けられるのを、沖田はどこか遠い所の出来事のように思った。 「・・・っは、」 ごめん、と泣きそうな声で謝る鬼に、悲しむ位ならやらないでくだせェ、といつもの軽口を叩こうとして無理だと悟る。 声帯を潰され、声は声にならず、意味の無い音ばかりが口から広がるのだ。 しょうがないから、沖田は哂った。 首は痛くて動かせない(というよりも、もう力が入らない)ので、沖田の顔を鬼は見ることは終ぞ叶わないだろうが。 いいんですよ、と沖田は哂った。 遠くから、土方の叫び声が聞える。鬼は逃げようか迷っているようだった。 本当に、最期までしょうがない人だ。 沖田は、まだ辛うじて動く左手で、さっさといけと合図する。 鬼は少し驚いて、それでも声の方向とは反対の闇の中へと消えていった。 ありがとう、と最期に聞いた鬼の声を抱いて、沖田はそっと瞼を閉じる。 3.2.1!そして世界は終わりを迎えた。 |
瞼を閉じて、3.2.1! 終わりの瞬間、すこしは惜しんでくれますか? |