始まりは何だったのだろう。この別れのきっかけは。
僕の記憶が正しければ、新撰組が余計なことを言ったのがきっかけだったと思う。本当に迷惑だ。今からでもいい、あの時あの場所あの瞬間に飛んでいって思いっきり殴りたい。余計なことを聞かせる前に家に帰りましょうよ牛肉でも何でも奢りますからと泣いて縋って、繋ぎ止めたかった。
でもそんなこと、今更。本当に今更のことだ。だってもうあの銀髪の侍は居ない。真剣も持ってない、ぐーたらでどうしょもない駄目人間で、糖尿で甘いものばっかり食べてる、まだ年齢的には若いのに妙におっさんおっさんした、僕らの・・・大切な大切な、人。




「先日、攘夷浪士の高杉と桂を発見しましてね。取り逃がしてしまったんですけど、沖田隊長や土方副長と切りあったときの傷は結構深そうでして。特に高杉の方は命にかかわるようですから、まだ近辺に居るんじゃないかと捜索中なんですよ。あ、旦那も捜索手伝ってくれません?報酬は出しますから・・・なんていっても人手不足でしてね〜随分斬られちゃいましたから、奴らに」

その言葉を聞いたときの、あの銀さんの表情を、僕はきっと忘れない。
呆然と、まるで魂でもとられてしまったかのように呆然と佇みながら、銀さんの虚無の感情が流れ込んできたあの感覚も・・・ぼくは忘れられない。
あまりにもおかしな侍の様子に山崎さんもおかしく思って、旦那。と、声をかける。僕はもう聞いていられなくて見ていられなくて、山崎さんに、すいませんこの人今日ちょっとおかしいんですよ甘味を1週間も抜いているせいかなぁ少しは食べさせてあげなきゃですねもう嫌になっちゃうなぁ、と苦し紛れの笑顔でまくし立てて、ほら銀さん帰りましょう神楽ちゃん待ってますから今日の夕飯はなんにしましょう・・・あぁ山崎さんさっきの依頼は無理みたいです今僕らも結構忙しいんですよではこれで失礼しますお仕事ご苦労様です頑張ってくださいね、とってつけたような別れの言葉と共に銀さんの腕を取って帰路へと付いた。背中に張り付く視線に気付かないフリをして。



その翌朝だった。
いきなり銀さんは僕と神楽ちゃんを呼んだ。嫌な予感が、背筋を走り抜けた。あれだ、父上が死んでしまった朝の様な感覚が。
文句を言いながらも素直に銀さんの前に座った神楽ちゃんが、いつまでも動かない僕を訝しげに睨んだ。何やってるヨこのダメガネ早くさっさと来るアル私おなかが減ってるネ、無邪気に言う彼女はきっとこの先の絶望を予測していない。僕だけが知っている。僕は動きたくなかった。動いてしまえば、そこにいってしまえば、きっとあるのは別れだけだ。そんな気がした。
別れは、嫌いだ。あんなにも大嫌いな父上との別れでさえ、大嫌いだった父上以上に大嫌いだった。いつもいつも反発していたのに、いざ動かなくなった父を見たとき、僕の世界は崩れ去った。姉上と、僕と、父上の世界が。きっと、今回も壊される。僕の世界が、僕と銀さんと神楽ちゃんと皆の世界が、その世界の中心であるはずの銀髪の侍の手によって壊されてしまう。嫌だ。それだけは嫌だった。世界が崩れるのはとても恐ろしい。苦しくて寂しくてどうしようもなくて涙も流せないほどの喪失感を味わうことだから。
新八、と銀さんが悲しそうに僕の名を呼ぶ。嫌ですよ僕は銀さんの話なんか聞いてやりません僕を傷つけて置き去りにする言葉なんか聴きたくない、そういって耳を塞ぎその場にしゃがみこんだ僕に、神楽ちゃんが叫ぶ。どういう意味ヨ新八ねえどういう意味なのねえ銀ちゃん!痛いくらい、致命傷は決して与えないけど、傷を、ぐだぐだに引き裂く声。それすら聴きたくなくて、僕は目を閉じて必死に耳を塞ぎ続けた。なのに声は、止まない。それどころか、足音がこちらに向かってくる。銀さんだ。
頑なに銀さんを拒否する僕と泣きそうなほど歪められた顔で見上げる神楽ちゃんの頭に、銀さんは手をぽんと載せた。

「悪い、」

その一言が、僕のおなかの真ん中辺りにずしん、と落ちた。嫌な重さだった。
いやです、そう声に出して抗議しても、銀さんはただただ困ったように悲しそうに笑うだけで、余計に苦しかった。なんで?と神楽ちゃんがポツリと聞いた。このままじゃ駄目アルか私と新八と銀ちゃんで万事屋続けて毎日くだらなくても幸せで・・・それじゃあ駄目アルか、神楽ちゃんの言葉に僕はうんうんと首を縦に振って賛同した。駄目なんだとわかってたけど、わかってたけど、納得なんかしたくなかった。わるい、とまた悲しそうに返す笑顔が気に食わなかった。そんな顔するなら、僕らも連れて行けばいい。地獄でもどこでも連れて行けばいい。テロリストだろうが人殺しだろうがなんだろうが、なったって構わない。一緒なら。一緒に生きていけるなら、何者になろうとどこへ行こうと、そんなことはどうでもよかった。
それでもこの優しい鬼は、きっと僕らを置いていく。優しくて優しくて、とても残酷なこの鬼は。
自分は傷ついても平気なくせに、人が傷つくと悲しむ。なんであんたはそんなに勝手なんだと僕は叫びたかった。その足に縋り付いて泣き喚いて行かないで僕らも連れて行ってと叫びたかった。なのに、音にならない。肝心なときに使い物にならなくなる自分の喉が、忌々しい。ヒューッ、ヒューッと音にならない言葉ばかりが生まれる。こんなんじゃない、こんなんじゃない!僕が、僕らが伝えたいのは意味を成さない音なんかじゃないんだ。
しゃくりあげる僕らの頭に載せた手をどけて、銀さんは玄関に向かおうとする。もう、手遅れだ。そんなこと、本当は昨日のうちにわかってた。銀さんの心には僕らが決して踏み込めない、踏み込んじゃいけない聖域があるのを、僕らは知っていたのだ。それは時折、高杉と言葉を変えて銀さんの前に現れる。昔の、思い出。昔から、今でも、ずっと大切な、一番大切な人。銀さんは、その人をひとりぼっちに出来ない。いつか言っていた。あいつはとっても寂しがり屋なんだ俺がそばに居なきゃいけないのに、って。それでも銀さんを置いていってしまった人なんて放って置けば良いのに、銀さんはこうも言った。俺も耐えられないんだ、って。傍にいたいんだ、って。なに、それ。なんて勝手なんだ!だから大人って大嫌い。僕らだって、傍にいたいのに。

涙も彼果てた僕らを振り返って、白夜叉と呼ばれた銀髪の鬼は、さよならという短い一言を残して、僕らの前から姿を消した。
それは、まだ冬になりきらない秋の日の出来事。


ウロボロスの尾を



引き千切って
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